『たべられないよ、アレルギー』 『ひげなしねこ』『ぼくたちの勇気』
2013.12.30 08:58|ラウンジ|
今年の締めくくりは、子供たちにまっすぐ届けたい本の紹介です。
「いのち」「体格差」「いじめ」「花粉症」「不審者」の五つのテーマをもとにした物語が展開されています。
どれも、リアリティ色強く子供によりそったストーリーで読ませますので、メッセージを意識しなくても主人公を身近に感じることができます。豊かな暮らしのなかにも起こるかもしれない「もしも」を想像するのはだいじです。
現実に子供たちの世界は大人を鏡にしたようにシビアです。子供は自分の身に起きていることを、遠慮して親に話せなかったり、整理や理解ができずに言葉にしづらいところがあります。
教師や親、友達でもだれか一人「だいじょうぶ?」と声をかけてくれる存在があればいいのですが、それさえも得られないケースが多いのではないでしょうか。表題作中にある、
(でも、ほんとうに、いじめって、なくなるんだろうか)
この言葉に、いま、ずしりときています。
各話にためになる解説がついています。また1月にはさらに2巻目が刊行されます。
『ぼくたちの勇気』に執筆参加の季巳明代さんは、好評だった月刊誌を、装い新たに出版されています。
男前でいかしたねこちゃんのお話です。
(『ひげなしねこ』 フレーベル館 )
井嶋敦子さんは下にご紹介の『たべられないよ、アレルギー』(童心社)の著者さんです。
舞台は保育園です。ハヤトくんは、おそばん組でユリちゃんと大好きなケーキを前にしています。
ユリちゃんはアレルギーがあるので牛乳の入っていないケーキをちゃんと食べていたのですが、ちょっとしたことで、ユリちゃんの様子がおかしくなりました。ユリちゃんにいったい何が起きたのでしょう。
「アレルギー」の言葉は浸透しはじめてずいぶん経つのに、そして年々増えているのに、なかなか当事者への理解は深まっていないというのが現実です。
この物語のように、知らないことで第三者が思いがけずに害を与えてしまう危険だってあるのです。
そして当人は小さいうちから偏見や無知な目にさらされ、大人になっても食事制限をはじめ子育てや仕事の制約を受けたりと生きづらさを感じることになります。
当人に代わって専門家の声を届けてもらえるのは有難いですよね。この紙芝居を通じて多くのひとに「共感」してもらいたいです。
「子供」という言葉。大人の小説では当たり前に使用されていますが、児童書の編集では通常「子ども」とひらきます。
単純に漢字を使用しないというだけではなく、「供」という言葉には「そなえもの」や「お供」に通じて不適切であるという見解もあります。
(他にも違ったとらえ方や規定があると思います)
でも私は、自己発信分(文)は「子供」を使い続けています。
それは社会が「そう」だからです。
現実はちゃんと子どもあつかいしてくれない社会だから、あえて「子供」を使い、シビアな面を意識してきました。
怪我をしたら普通は親が手当をしたり病院につれていきます。でもそうしてくれない親だっています。
病気はお医者さんが治してくれたり薬をくれたりしますが、お金がなければ相手にしてくれません。
毎日の食事だって、まともにつくってくれる親がいなければ健康には食べられません。
お金だけあたえられても、お店で安く売られているのは添加物ばかりです。
常識のないままに、ネット社会に飛び出して、危ない目に遭っている子もみかけます。
究極、自分を守れるのは自分だけ。
裕福に育ってきた子供も、親に守られているうちはいいのですが、一歩社会に出たら対応が難しいということもあります。
「自分のことは自分で守る」という当たり前が薄れていて、それが危険ということにも気付かないうちに危険に浸かっている例も極端に増えているように思います。
注目されたい、さびしいからと、自ら犯罪に手をそめる例は昔からありますが、「自暴自棄」を複雑に抱えたまま自分の首をしめている例があとを絶ちません。
それは、「現実」を体当たりして伝える大人たちが減っているからでしょう。
私も努力していきたいと思いますが、このもやもやとした気持ちを代弁してくれるような児童書や読み物をもっともっと子供たちに伝えていければなあと真面目に思っています。

では、長くなりましたが、来年もよい年でありますように。
ここを読んでくださる皆様にとって、2014年が温かい年になりますように。
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どれも、リアリティ色強く子供によりそったストーリーで読ませますので、メッセージを意識しなくても主人公を身近に感じることができます。豊かな暮らしのなかにも起こるかもしれない「もしも」を想像するのはだいじです。
現実に子供たちの世界は大人を鏡にしたようにシビアです。子供は自分の身に起きていることを、遠慮して親に話せなかったり、整理や理解ができずに言葉にしづらいところがあります。
教師や親、友達でもだれか一人「だいじょうぶ?」と声をかけてくれる存在があればいいのですが、それさえも得られないケースが多いのではないでしょうか。表題作中にある、
(でも、ほんとうに、いじめって、なくなるんだろうか)
この言葉に、いま、ずしりときています。
各話にためになる解説がついています。また1月にはさらに2巻目が刊行されます。

男前でいかしたねこちゃんのお話です。
(『ひげなしねこ』 フレーベル館 )
井嶋敦子さんは下にご紹介の『たべられないよ、アレルギー』(童心社)の著者さんです。
![]() | ひげなしねこ (2013/11) 季巳 明代 竹内 通雅 商品詳細を見る |
![]() | たべられないよアレルギー (保健衛生かみしばい まいにちげんき!) (2013/12) 井嶋 敦子 鈴木 幸枝 商品詳細を見る |

ユリちゃんはアレルギーがあるので牛乳の入っていないケーキをちゃんと食べていたのですが、ちょっとしたことで、ユリちゃんの様子がおかしくなりました。ユリちゃんにいったい何が起きたのでしょう。
「アレルギー」の言葉は浸透しはじめてずいぶん経つのに、そして年々増えているのに、なかなか当事者への理解は深まっていないというのが現実です。
この物語のように、知らないことで第三者が思いがけずに害を与えてしまう危険だってあるのです。
そして当人は小さいうちから偏見や無知な目にさらされ、大人になっても食事制限をはじめ子育てや仕事の制約を受けたりと生きづらさを感じることになります。
当人に代わって専門家の声を届けてもらえるのは有難いですよね。この紙芝居を通じて多くのひとに「共感」してもらいたいです。
「子供」という言葉。大人の小説では当たり前に使用されていますが、児童書の編集では通常「子ども」とひらきます。
単純に漢字を使用しないというだけではなく、「供」という言葉には「そなえもの」や「お供」に通じて不適切であるという見解もあります。
(他にも違ったとらえ方や規定があると思います)
でも私は、自己発信分(文)は「子供」を使い続けています。
それは社会が「そう」だからです。
現実はちゃんと子どもあつかいしてくれない社会だから、あえて「子供」を使い、シビアな面を意識してきました。
怪我をしたら普通は親が手当をしたり病院につれていきます。でもそうしてくれない親だっています。
病気はお医者さんが治してくれたり薬をくれたりしますが、お金がなければ相手にしてくれません。
毎日の食事だって、まともにつくってくれる親がいなければ健康には食べられません。
お金だけあたえられても、お店で安く売られているのは添加物ばかりです。
常識のないままに、ネット社会に飛び出して、危ない目に遭っている子もみかけます。
究極、自分を守れるのは自分だけ。
裕福に育ってきた子供も、親に守られているうちはいいのですが、一歩社会に出たら対応が難しいということもあります。
「自分のことは自分で守る」という当たり前が薄れていて、それが危険ということにも気付かないうちに危険に浸かっている例も極端に増えているように思います。
注目されたい、さびしいからと、自ら犯罪に手をそめる例は昔からありますが、「自暴自棄」を複雑に抱えたまま自分の首をしめている例があとを絶ちません。
それは、「現実」を体当たりして伝える大人たちが減っているからでしょう。
私も努力していきたいと思いますが、このもやもやとした気持ちを代弁してくれるような児童書や読み物をもっともっと子供たちに伝えていければなあと真面目に思っています。

では、長くなりましたが、来年もよい年でありますように。
ここを読んでくださる皆様にとって、2014年が温かい年になりますように。
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